木漏れ日セラピー

どうしての向こうにいる、わたしを探して


どうして〇〇〇〇なんだろう?


生活していると、ふとこのような言葉が浮かびませんか?
家族といる時、
友達といる時、
仕事をしている時、
一人の時間を過ごしている時。


今まさにその時だったり、

ふと気づいたり、

何かの拍子で思い出したり。


それは何度も繰り返してしまう、

思考パターンでしょうか。

行動でしょうか。

もしかしたら、

何度も繰り返す状況を指すかもしれません。


どうして〇〇〇〇なんだろう?


〇〇〇〇に当てはまるのは、

あなたの人生、または魂の中にあるあなたの姿です。

時の間に置いて忘れてしまった自分。


そこは時間が止まっていて、

今もそこで生き、一人戦っています。

それは、記憶に残るものかもしれません。

ただただ純粋いな思いや、感情かもしれません。

わからないけれど、理解できることかもしれません。

もしくは全く違う要因で影響を受けたものかもしれません。


わたしたちは心の中に光と影があって、

表に出せる自分と、

表に出しずらい自分がいます。


表に出しずらい自分の中には、

隠したい自分や、

封印してしまいたい自分、

忘れたい自分、

本当に忘れてしまった自分がいます。


人は成長する中で、

そんな自分と向き合って、

“わたし”を育んで生きています。


自分を見たくない自分、

嫌いな自分、

絶対に許せない自分、

恥ずかしい自分、

いろんな自分と仲直りできたら素敵ですが、

無理に仲良くならなくていいです。


ただ、そうなった理由の中にどんな気持ちがあったのか、

それを理解できるのは、

この世界でたった一人。

あなたしかいません。


この世界に光と影があるように、

心にも光と影があります。


それが正義や悪として敵対するのではなく、

木漏れ日のように、

あたたかな日差しと、

ほっと落ち着く日陰のように、

穏やかでさわやかな空間であるように。


「どうして」の向こう。

今もそこに一人いる、

わたしの心に会いにいくセラピーです。